前回の感想はコチラ。
第6話あらすじ(TBSより引用)
ひょんなことから、すずめ(満島ひかり)は幹生(宮藤官九郎)という男性と知り合う。実は幹生は真紀(松たか子)の失踪した夫なのだが、幹生はなぜか諭高(高橋一生)の先輩だと身分を偽る。ある思いから幹生を別荘に招いたすずめは、幹生の靴に防犯用のカラーボールの痕がついていることに気付き…。
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ハイライト
ここでスローな感じにする演出はややくどいかなー。
やっと本音で話し始める2人。
そんな中、夫さんはカルテットが住む家に到着します。
このすずめの言い方が個人的にかなりツボ!
うーん、ここもう少し何とかならないかなー。
説明で気付かせるんじゃなくて視線で気付かせたいなー。
すずめに気付かせるのは漫喫とか、コンビニに寄らせて気付かせるとかでいいと思うけどなあ。
気付いてる上で家に上がらせて、
「槙...村さんってコンビニ強盗とかしたことあったりしますか?」
みたいなカマかける質問すればよさそうだなーと思いました。
舞台は変わって回想シーンへ。
真紀と夫さんの対比構造で描かれます。
真紀の名字の話は1話ぐらいでしか触れられてこなかったけど、結婚前の真紀は巻真紀になるのはイヤだったんですね。
ついに"アレ節"が登場しました。
やっぱりこれがないとみぞみぞしますね。
坂元裕二を一番投影してるのって諭高だと思ってましたが、夫さんですね。
真紀のように社会の"良悪"と個人の"良悪"をごっちゃにするのは危険なことだなーと思います。
1話でも出てきたこの言葉。
一見真紀を思いやった言葉に思えますが、
ただ、自分が昔好きだった頃の(彼の言葉を借りると"秘密めいていた")真紀に戻って欲しいという身勝手さが表れています。
パートナー間の価値観って"したくないこと/してほしくないこと"の意識だけずれてなければ何とかなると思うんですよねー。
自分が好きな映画を見て、同じくいいって思ってくれる人の方がよくはあるけど、
それがマストかと言われるとそうではないし。
私は話すときに"共感"や"意見"は求めてなくて、自分の考えを"整理"するために話しています。
ブログと同様に発信時点では、一方的なコミュニケーションであるわけで、
相手からのレスポンスはオプションみたいな感じ。
"期待しない生き方"と呼んでもいいかも。
"共感"や"意見"を求めるために話したいときは、それなりの人に話せばいいわけで、*1
それをパートナーに求めるのは私の生き方とは少し違うかな。
我慢してきましたが、この3カットでもう限界です。
まとめに書きます。
まとめ
今回ははっきり言って繋がりでいうと良くないです。特に回想シーン。
対比する演出は好きな部類に入りますが、それにしてもこれは過剰すぎます。
これがドラマの第1話であるならば、全く問題ありません。
そういうドラマなんだな、そのレベルの話です。
しかし、これは第6話であるわけで。
脚本と違って、特に演出なんてバトンリレーじゃないですか。
演出の中でもある程度の方向性は話し合っていると思うし、その枠から大きくずれないことって私はすごく大事だと思います。
確かに今回は回想という特殊な場面ではあったのですが、それにしてもそれにしても...。
今回の演出を担当された坪井さんがどうこうというより、
演出/チーフプロデュースをやられている土井さん、プロデュースの佐野さん、
このお2人がこれでOKを出したっていうことが残念でなりません。
演出よりもより広い視点でドラマを見ているであろう方たちだからです。
Ave Maria! In preda al duol,
Non mi lasciar, o madre mia, pieta!
O madre mia, pieta! In preda al duol,
Non mi lasciar, non mi lasciar.
(アヴェ・マリア、私を悲しみのえじきにしないでください。
母なる方よ、お願いです。
母なる方よ、お願いです。
私を悲しみのえじきにしないでください。
しないでください。)
次回に期待です!
*1:そういう人を探すのもこのインターネット時代ならば容易