いつの間にか2年が経過していて、住んでいるマンションの契約更新を迎えた。
この街に住むことを決めた時の私の精神状態は頗る最悪で、
「とても一人では生きていける気がしない、ペット可の物件を教えてくれ」
と物件探しのプロに泣きついたことを覚えている。
「なにを飼うつもりなんですか」
と尋ねられたものの、特に具体的なプランも決まっていなかったので、
「生きていれば何でも」
と言った気がする。
この言葉だけを聞くと、無差別殺人事件を起こした犯人の犯行理由と大差ない気もするし、
紙一重とはこういう状態を指すのかもしれない。
確実に言えることは、その時の私にとって、ペットとはさながらアッラーのようなものだった。
プロは、
「このまま飼わないかもしれないので、飼う時に敷金などを追加で払うタイプの物件がいいですね」
とのたまっていた。
私も異論なかったため、同意した。
この決断は間違いなく正しくて、結局2年経った今も人間独りで生活している。
プロのプロたる所以だ。
しかし、その選択に至るまでには、もう一つ裏話がある。
猫6匹と暮らす友人に「何を飼うか決めあぐねている」とLINEを送った時のことだ。
何時間か経ち、返信が来た。
「大切なことだから、ちゃんと答えるね」と前置きLINEを挟んだ後、
『命を扱うことについて』というテーマで書かれた原稿用紙2枚ほどの大作LINEが私の元に届いた。
結びには、「自分を癒すとかそういう目的でペットを飼ってほしくない、と私は思います」と書かれていた。
彼女はとても誠実な人だった。
私は彼女のほとばしる熱意に全ての動物エネルギーを吸い取られてしまい、それからペットを飼うという発想が枯れてしまった。
これだけ聞くと、ペット可の物件にペットを飼わずに住むメリットがないように思えるが、一つだけ良い点があった。
「ペット可の物件には、ペットを飼っている人が住んでいる(ことが多い)」ということだ。
筋肉をつけまくり、「いざとなればオレはあいつを殺れる」みたいな自信を持つことで、
自己の安定を図るという生存戦略がある。
それと同じように、「いかにアレであっても、この人たちはみなペットを飼っているのだ」という
この揺るぎない事実が私にとって安らぎを与えてくれた。
どんなに強面な人であっても、自己紹介の最後に、
「家に帰るとペロという愛犬が待っててくれます」
と言ってしまえば、多くの人が好感やギャップ萌えに近い何かを感じてしまうのに似ている。
天秤計りの下がり先を決定付けるもの、と言ったら大げさだろうか。
それを根底に持っている人たちを見て、言い表せない安堵を感じてしまっている自分がいた。
*
横浜市には土地柄、坂道が多い。
私の住む街もご多分に漏れず、坂道が多かった。
夜22時。
この時間にはやや不釣り合いな赤いランドセルを背負った少女が、改札を出たところで、父親らしき人と合流した。
親子と思われる二人は、どちらともなく手を繋ぎ、仲睦まじく横に並んで歩き始めた。
緩やかな坂を下って家路に就く親子の後ろ姿は、何とも言えないほど画になっていた。
これをフィルムに収めたくない映画監督はいないだろう。
文章で表現できない情緒が、まさにそこにはあった。
興奮して、しばらく目を離していたら、二人はどこかに消えていた。
立夏をしばらく過ぎたくらいのある朝のこと。
ホームで電車を待っていると、件の二人がやってきた。
少女はランドセルから学生鞄へと衣替えをしていた。
白いシャツが眩しい。
心なしか身長も伸びている気がする。
しゃんと伸びた背筋が、余計にそう思わせたのかもしれない。
二人はあの時同様、手を繋いでいた。
電車が来ると、パッと手を離し、少女が先に車両に乗り込んだ。
父親も後を追った。
私は少し考えて、別の車両に乗り込んだ。
同じ車両に乗り込んでしまうと、頭の中のストーリーを急加速させることになると分かっていたからだ。
勝手な想像を膨らませることに、後ろめたさを感じていた。
特にあの清廉なシャツの前で、しゃんと伸びた背筋の前で、私は潔癖でいられる自信がなかった。
それ以来、あの二人を見かけたことはない。
衣替えの季節になると、今の姿を見て見たいと心が逸る。
それくらいは許してくれ、と人知れず思いを馳せている。
- 作者: 三浦しをん
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