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【考え】羨望の眼差し

私は女性に対して憧れがある。

そもそもの始まりは、3年B組金八先生の第6シリーズに出てくる鶴本直(演:上戸彩)だった。
鶴本直は性同一性障害を抱える女(性自認は男)で、当時は小学生ながらそういう人がいるのかと衝撃をうけた。

中学生になってからは、男の子と遊ぶのと同じくらい女の子と遊んでいた。
手紙をやり取り(ちっちゃい便せんみたいなやつ)したり、交換ノートをしていたりした。
女の子と一緒にいることは、やはり男の子と一緒にいるのとはなにか違ったし、心地よくて安心した。
また、このころはとっかえひっかえに付き合っていて、いわゆるモテ期だった気がする。*1
(今でもそうだけど)わりと一目惚れしやすいので、自分はすごく女好きなのかなーって単純に思うだけだった。

それからかなり時は経ち、大学生になったころ、佐藤かよという人物を知った。
そのとき、"自分は女性になりたかったのかもしれない"という思いがふつふつと湧きあがった。
どうしてかはうまく説明できないけれど、それは余りにも自然な感覚で、すんなりと受け入れることが出来た。

ただ、それはほんの軽い願望であり、いざ行動に移すとかそういったレベルの話ではない。
私の中では、女尊男卑の考えが根付いていて、(美しくない)男が(美しい)女の恰好をするなどといった行為は
到底許すことができなかったし、自分もまた例外となることはなかった。
それは、本能レベルでの拒絶だった。

その結果、女性らしさを彼女などに求め始めた。
着る服も自分の好みのブランドを着てほしかったし、言葉遣いも言い直させたりした。(うまい→美味しい とか)*2
また、彼女の延長で子どもに関しても、絶対に女の子がよかった。
"男の子が産まれたら愛せるのか?" この問いには正直、確固たる自信をもって答えることは出来ず、実際産まれてみなければわからないとしか言えなかった。*3
小さいうちは女の子みたいに育てるといったことをやりかねない、といった恐怖も同時に感じていた。
個を尊重する考えであるのに、こういった押しつけがましい女性らしさを併せ求めてしまうのは、ひどく矛盾していて悩みのタネだ。

この話は、以前一度書こうとし、断念した経緯がある。
しかし、映画「夢売るふたり」を見たのをきっかけに書いてみようと思った。*4

なんとなく分かることがある。
この映画の監督は男女どちらか?この女性みたいなタイプの顔は男性にもいるか?

映画「夢売るふたり」での松たか子の演技は、とても女性的で、女という性を浮き彫りにした。
彼女が見せる表情は男性が真似できるものではなく、それは性差という形で視聴者に鋭く突きつけられた。

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*1:もったいない

*2:押しつけてはいなかったとは思う...

*3:「ウソでもいいから、愛せるとここではいうべき」みたいなのは他者に対してのコミュニケーション手段であると思う

*4:この映画がそういったことをテーマにしているかというと、そうではない